for student

学生のみなさまが、いまよりちょっと楽しく賢くすごせるように

恩師

いろんな番組見てても、やっぱ恩師っているんですね、ッて思います。

 

私をこの道に導いいてくれた恩師、といわれて思いつく方が一人だけいます。

(この道、とは何なのかは私は知りません。また、今以前に教えてくれた教師の皆様は、どうか気を悪くしないでいただきたい。)

 

ここでは、実名は出さないでおきますが、その人の話を少ししたいと思います。

 

私が小学生の時です(そんなときもあったんです)。彼は算数の教師だったんですが、なんというか、ハイテクだったんです。でも、いわゆる頭のいい人ではなくて、厳しい人ではなくて、寛大な人でした。

算数の解説に、パワーポイントを使うような人で、それを見た教育委員会の人は、興味津々(まあ、そのころパワーポイントを使いこなせる教育委員なんていなかったでしょうから)。

話す内容も、なんか、斬新でした。今で言う、twitterや2ちゃんなどで話題になりそうな情報をいっぱい教えてくれました。青少年に教えるべきでないものもあった気がしますが。

そんな彼は、コンピュータに少し興味を持ち始めた私に、なんでもさせてくれました。わからないことがあったら何でも教えてくれました。

ある日、ホームページが作りたくなった、と彼に伝えたら、次の日には私に「ホームページビルダー」をくれました。内緒だよって(ALTのイギリス人がこれは何って聞かれたけど、わたしは内緒にしました)。HTMLを教えられるよりも私にとっては良かったと思います。

このころから、私のポケットには常にUSBメモリーが入っている、という異常な小学生になっていました。当時のUSBって高価で、1GBのやつが5000円もしたんです。何度か洗濯してしまったんですが、データは消えずに残っていました。

 

いま、うちの高校の生徒とかが、「面白い」とかいって夢中になっていること。私は、彼から教わり、小学生の頃に、「興味深い」と思っていたのです。正直言って、今の高校生はレベルが低すぎる(高い人は高いですが)。

だから、いまはそのへんの連中よりも、一歩二歩ではなく、遥か先に自分がいないといけないと我ながら思っています。自慢に聞こえるかもしれませんが、これは、彼との、交わしてはいませんが、約束であり、義務であるように感じてしまいます。

 

彼は、私にコンピュータの可能性を教えてくれていたような気がします。こんなこともできるんだよ。あんなこともできるんだよ。休み時間には、よくパソコン室にいったものでした。1学年28人しかいない過疎化した集落の小学校であったことも幸いし、windows xpの最新のパソコンが40台もあったパソコン室は、私の憩いの場になっていました。

あの、ゆとりで悪名高い「総合的学習の時間」も、この集落を活性化させるという無謀な試みのもと、ホームページを作ったり、パンフレットを作ったりと。私は有効に使いましたよ、安倍さん(笑)。正直、総合的学習の時間が大好きな、全国でも数少ない少年だったのです。

 

そんな彼は、すい臓がんでした。私が小学生の頃も、入退院を繰り返しながらの教員生活でした。私は、彼ががんであることに、気づいていませんでした。おそらく、彼は気づかせないようにしていたのでしょう。そのお陰で、私は、彼と気兼ねなしにコミュニケーションを取ることができていました。

彼の奥さんと私の母が同僚であったこともあり、家族との少ない時間の中で、彼が私の自慢を良くしてくれていたことも聞きました。自分の娘もいるのにですよ。

 

 

そして、私が中学2年生のとき、彼は亡くなりました。

その時の校長が、学校だよりに、

「薬の副作用で、気性の荒い時もあり、ご迷惑もお掛けしたことと思います。」

って、書いてありました。確かに、おこる時もありました。でも、それは、副作用なんかではなく、彼の私達へのメッセージの一つだったと私は信じています。

 

こうして、毎日(!?)ブログを書き続けている私がいるのも、怪しいことを色々している私がいるのも、こんなユニークな人間がいるのも(??)、すべて彼のおかげだと思っています。彼に今、アドバイスをいただけないこと、今の姿を見せられないこと、本当に悔しいです。

アメリカの高校生が、親しい人をすい臓がんで亡くして、その後画期的なすい臓がんの検査方法を発明したそうです。ほかにも、「救えなかった」ことから、医者などを目指す人も多いでしょう。でも、私は、彼にできる恩返しは、次の世代に、夢を与えることだと思っています。彼は私に夢をくれました。

 

ふてくされているとき、無為な時間を過ごしている時、私は彼に背いているような気がします。彼が生きることのできなかった、その彼が私に与えてくれた何かを無駄にしている、そんな気がしてならないのです。

 

 

亡くなる年の年賀状。

「たまには、顔を見せなさい。」

その言葉が、いまも胸に強く突き刺さっています。しかし、彼は、後ろを向くことではなく、前を向くことを求めているはずです。