for student

学生のみなさまが、いまよりちょっと楽しく賢くすごせるように

幸福度

先日、地元の高校(進学校ではない)に進学した友人にあった。こう言われた。

「(私が行っている学校に行っている人は)勉強しかしてない。だから嫌い。」

もちろん、、嫌い、の中に私も含まれるのであろうが、そこは気にしない。自慢になるかは分からないが、私をただのガリ勉ではないことを主張してくれる人は山ほどいる。

言われなきゃ、気づかないのだろうが、確かに、勉強ばっかしている。ガリ勉も多い。

その言葉を私にかけた人たち(ここではBとする)は、(あくまでも推測だが)勉強していないのだろう。

仮に、勉強が楽しくないとしよう(これはあくまでも仮定だ。否定する人もいるだろうし、そもそもそんなことは証明のしようがない。いやいや、こんなことを考えていたら、それこそガリ勉だ。)。

おそらく、Bは「今」は、私達より楽しい時間を過ごしているのであろう。少なくとも勉強を言う束縛から開放されているのだから。

じゃあ、なんで私達が勉強するかって。よく言われるフレーズ。

「将来楽をするため」・・・1

「将来幸せになるため」・・・2

「社会に役に立つため」、「リーダーになるため」・・・3

生涯賃金が違う」・・・4

ひとつひとつ、考えていこう。

まず1の場合。

そもそも楽って何でしょう。まあ、いわゆる楽をしても、楽=楽しい、ではないと思う。今楽をするか、どうかでしょうが、本当に楽になるのでしょうか。甚だ疑問です。

2の場合。

高校時代はガリ勉で、難関大学に進み、一流企業のサラリーマンになり、残業付の日々が続く。それと、高校時代は遊んで、大学で海外留学、語学力を活かして通訳になる。とか、大学行って、仲間を見つけて起業。どっちが幸せでしょうか。勉強したら「絶対」幸せになるなんてことはないのです。

3の場合。

日本への強い愛国心があるとか、天皇への忠誠心があるとかの人は、重要かもしれないが、私はそうではない。社会の役に立たなくてもいいと思っている。というより、現在、一般的に言われる「社会に役に立つ」ことは、ほんとうに社会の発展に役立ているのか。正直なところ、私は足かせであると思う。そんなことにとらわれていては、社会をより良くするなんて出きっこない。

4の場合。

高卒と大卒で生涯賃金が1億円違う。と言います。でも、幸福度に1億円の差があるかが重要です。高校時代はどう考えても、Bのほうが幸せ。大学時代はこっち。それ以降は、どっこいどっこいでしょう。

別に、勉強するなとは言いませんが、ただ、大学受験のためだけの勉強では、意味が無いのです。それならいっそ、自分の専門分野を極めたほうがよっぽどまし。アベレージ的な人間を(野球界は求めているかもしれませんが)社会は求めていません。なにか、一芸に秀でている人のほうが、実用的なのです。即戦力は、アベレージ的な人間でなく、話すのが上手い人です。もう一度自分の未来を考えてみてはいかがでしょうか。