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学生のみなさまが、いまよりちょっと楽しく賢くすごせるように

現代文と恋愛感情

現代文の問題で恋愛感情が問われる事は少なくない。

もし、文章中の登場人物の感情を読み取るには、それに似た経験をしていた方が有利だとすると、恋愛が豊かな人が有利になるはずだ。しかしながら難関大学にそういった人が明らかに少ないのを見ても、これは明らかであろう。

では、読書をすればいいのだろうか? そういった訳でもなさそうだ。私の友人に超読書家って感じの人がいるが、残念ながら恋愛感情は皆無といっていい。

現代文の恋愛感情を読み取れる人とはいったいどんな人なのだろうか。

私は、いわるゆる、状況把握のうまい人、頭の中でイメージを作る事が得意な人だと思う。簡単にいえば「妄想」が得意な人だ。正直なところ、ある事象に対してどういった感情を抱くかなんて、基本的には人それぞれなんだから、基本的には何を答えたって不正解ではありません。それを防ぐために、そう結論づける明確な根拠が存在するはずだ。それを読み取れるかどうかが現代文の力であって、読書力や経験といったものは無意味なものだ。

極端な話になるが、現代文とは一般的な解を求めることを徹底的に行う学問だ。様々な事象の両極端を取れば、すごい想像ができ、採点など不可能になる。そうではなくて、一番平均的・・・ではなく秀才とされる大人たち(自称文学者)の平均的な答えが正解になる。

 

現代文の面白いのは、作問者と、文章の執筆者が異なるということだ。池上さんの本に、

「私の文章もよく問題に使われるが、選択問題とかだと、不正解の項目も私の言いたいことなんですが・・・。」

のようなことを書いていました。

大学入試で現代文が問われる理由が、読書量でも、感受性の豊かさでも、勉強量でも、経験でもなく、自分たち(大学教授・・・文学者)に似た考えを持つことができるかどうかなのだ。

正解ってなんなんだろうね。